かくれ里

水曜日, 1月 31, 2007

松尾芭蕉

 月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。・・・・・ 『奥の細道』の序章の書き出し文である。

 先日買った『なぞりがき』の本で、芭蕉のことばを、ひと文字、ひと文字、えんぴつでなぞっている。文学にはあまり興味がなかった自分だが、最近、興味をを覚えだした。松尾芭蕉についても、「しずけさや いわにしみいる せみのこえ」や「さみだれを あつめてはやし もがみがわ」などの、俳句の作者ぐらいにしか知らなかったが、この奥の細道は難しいが面白い。

 46歳の時に江戸を出て、東北路、北陸路を経て、大垣までの2400キロを160日かけて行脚して書いた紀行文である。現在なら自動車で数日で回れる距離だろうが、当時としては恐らく命がけの旅だったと思われる。それだけに気合の入った作品になったのだと思う。

 松尾芭蕉は51歳でこの世を去っているが、大きな業績を残している。僕が51歳の時は一体何をしていたのだろうか、と、自問してみると何もない。これから先も大した業績を残すことは出来ないだろう。

土曜日, 1月 27, 2007

最近の告別式

 友人の家族にご不幸があって、葬儀告別式に参列してきた。式場は堺市内にある、○○メモリアルホールという立派な建物だった。地下の立体駐車場に車を入れて、エレベーターで3階に上がると、椅子が100席ほど並んだ式場の正面に祭壇が豪華に飾られている。

 少し早く着いたので、一階のロビーで時間調整をすることにした。一流ホテルかと間違えるような豪華なロビーのふわふわのソファーに座って、コーヒーの接待を受けた。至れりつくせりのサービスである。

 開式時刻になったので再び三階へ。浄土真宗本願寺派の僧侶の読経で始まり、親族のあとの一般焼香でおまいりさせていただいた。ところが、導師のお経は30分程で終わり退場。あとの30分はスタッフが動きまわって無用と思われるようなセレモニーが行われた。

 結婚式ならともかく、葬儀の場合はもっと厳かにするべきではないだろうか。何処か違ってるような気がした告別式だった。

木曜日, 1月 25, 2007

アロエの花

今年も、見事に咲きました

日曜日, 1月 21, 2007

グーグル革命

 今夜、9時からNHKのテレビ放送で、検索エンジンの「グーグル」についての特集番組があった。グーグルは8年前にアメリカのスタンフォード大学の学生二人が立ち上げたベンチャー企業だが、今や押しも押されぬ大企業となった。世界中で毎日グーグルでネット検索される数は10億回と言うから、物凄い数だ。

 僕もインターネットを始めた当初はヤフーの検索エンジンを使っていたが、グーグルを知ってからは検索はもちろんのこと、ニュース、画像処理のPicasa、地図検索のGoogleマップ、G00gle Earts、そしてこのブログBlogger、等々、グーグルなしでは暮せないような状態になっている。

 放送はこれまで殆ど外部に明らかにされてなかったグーグル本社の様子や、検索業界の裏側を長期間にわたって取材された番組だった。そして、普段何気なく行っている検索と言う行為が、今、大きな変化を始めている思いがした。

金曜日, 1月 19, 2007

黒い実


僕は植物の名前に関しては殆ど無知に等しい。注意力が散漫なのか、名前を教えてもらってもすぐに忘れてしまう。この季節、町内を歩いていて赤い実をつけた植物が目立つ。それが南天なのか、千両なのか、ピラカンサなのか知らないが、ともかく良く見かける。

 今日、伺ったお宅の庭に植わっていた植物には黒い実が生っていた。珍しいので、奥さんに名前を尋ねると、「ツゲ」だとおっしゃった。「ツゲと言えば櫛などの材料になるあれですか」とかさねて聞くと、そうだと言われた。

 帰宅してネットで調べてみた。漢字では黄楊又は柘植と書いて、ツゲ科ツゲ属の常緑広葉樹。通常は1~5m、直径5~10cm.の小高木または低木であるが、まれに高さ10mほどになることがある。生育がおそく、材は緻密で重厚。磨くと艶が出る。高級な櫛や将棋の駒、算盤球、印判、版木などに使われる、と知った。

 インターネットのお陰で、又ひとつ賢くなった。何度も書く様だがインターネットは本当に便利なツールである。

火曜日, 1月 16, 2007

定番料理


 
 白菜を使った我が家の定番料理はシンプルそのものです。材料は、白菜半玉(約1500g)、豚のひき肉(約300g)、生葛きり(1袋)、日本酒(200CC)、塩(大さじ1杯強)、これだけです。

 白菜はざく切りにする。かなりの量になるので少し大きめの鍋を用意する。ひき肉は、塩を少料入れて手でよくこねてから、ピンポン玉より少し小さめに丸めて12~13個の肉団子を作る。鍋を熱し、酒を半量入れて、そこへ肉団子を転がし入れる。肉の色が変わったら一旦取り出す。次に白菜を入れて蓋をして中火で10分間ほど蒸し煮する。量がが2/3位になって水分が増えているので、そこへ肉団子を戻し、生葛きりを乗せ、塩と残りの酒を入れて中火で20分ほど煮る。白菜がとろとろになったら出来上がり。アツアツを汁と一緒に食べる。

 だしは何も使わないが、白菜の甘みと塩味だけで結構おいしい。ポイントは塩加減であるが、少し多いかなと思う位の方がいいようです。酒以外に水は一滴も入れませんが、白菜からかなりの水分が出てきます。家族が二人だと3食分ぐらいありますので堪能できます。

月曜日, 1月 15, 2007

白菜の効用

 白菜がおいしい季節になった。白菜は霜にあたると繊維がやわらかくなり、糖分も増しておいしくなります。淡白な味がもち味で、鍋もの、炒めもの、煮もの、汁の具、漬物、サラダ等、色々な料理にあう野菜です。

 白菜に含まれるビタミンCやカリュームなどの栄養素は、水に溶けやすい性質を持っているので、汁ごと食べる料理で食べるのが良い。水分が多いので茹でたり煮たりする時は蒸すように加熱すると甘みが出る。炒めるときは、強火で一気に炒めるのがポイント。

 低カロリーで食物繊維も豊富に含まれているので、ダイエット向きの食材とも言える。整腸作用もあり便秘の改善や予防にも効果が期待できる。そのほかにも、ガンや動脈硬化や高血圧予防や利尿作用にも効果があると聞きます。

 そんな訳で、我が家の料理には白菜をよく使います。調理方法はいろいろだが、殆どの場合汁ごと食べています。その中でも定番となっている料理を次回に書きます。

金曜日, 1月 12, 2007

元気を貰った

 今朝のNHKのラジオ放送に、90歳を向えられた秋山ちえ子さんが生出演されていた。とても90歳とは思えない張りのあるお声で、村上信夫アナウンサーとの対話もいきいきしていて、聞いていて楽しかった。

 秋山ちえ子さんは戦後まもなくからマスコミの仕事に従事されて、電波による新しいルポタージュの分野を開拓された。以後、60年近くにわたり、常に、生活弱者の視点から積極的に発言されていた。

 昭和35年から始まった「秋山ちえ子の談話室」は月曜日から金曜日の週5日、48年間にわたり放送された。僕も歯切れがよくて気持ちのいい話を、時々ではあるが聞いていた。88歳で放送の第一線から退かれましたが、今日、生の声をお聞きして、改めてお若いのに感心した。

 現在は、盛岡にある知的障害の人のための「いきいき村」の村長をされているそうだ。施設の中に「風の館」という場所があって、そこに戦争のことを書いた本を集めた図書館を作るそうだ。戦争のことを知っている人が少なくなったからだと言う。秋山ちえ子さんは90歳を過ぎてもまだまだ健在だ。大きな元気を貰った。自分も秋山さんに負けないような生活を心がけよう。

火曜日, 1月 09, 2007

天気予報

 今年は穏やかな天気が続いたいいお正月でした。いよいよ今日から始動です。もっとも、休みの間も事務所にこもって、年次更新や確定申告に向けての決算の準備など色々することも多く、ずっとパソコンと向かい合っていた。

 パソコンと向かい合っていたと言うと聞こえがいいが、仕事ばかりしていたわけではない。インターネット等で遊んでいた時間の方が長かったかもしれない。遊び心で、気象台発表の、大阪の天気予報を添付してみました。

各気象台発表 府県予報(ウェザーテック)

土曜日, 1月 06, 2007

ストレス予防の4ヵ条

  
   人生7割でよし! 

     完ぺきを望めば無理するしかない。
     「人生7割でよし」とおおらかに構えること。

   
   人に感謝する。

     ストレスとは不安や怒り。それを解消するのは感謝です。
     「ありがとう」を口癖に。


   自分の体を信じる。 

     「そのうちに何とかなるだろう」「そのうちに治る」と、
     自分の運や治癒力を信じること。


   笑顔を忘れずに。

     「笑い」は喜びの感情とつながっている副交感神経反射。
     笑顔でリラックスして。



木曜日, 1月 04, 2007

初歩き



 今年も最初の山歩きは金剛山だった。5年前から毎年1月4日には金剛山に登っている。どうやら恒例になった様である。この山には色々な登山道があるが、毎年コースを変えて登っている。今年は妙見谷コースにした。

 ガイドブックによると、妙見谷コースは途中道が崩れていたり、簡単な岩登りの箇所があると書いてあったので今まで避けていた。しかし、今回はベテランのN君が一緒に行ってくれることになったので、皆さんをお誘いしたところ、京都からYさんも来て下さって、総勢9名になった。

 今年は暖かい正月だった。去年はカトラ谷から登ったが、積雪も多く山上の気温-5度で冬山の雰囲気があったが、今年の金剛山は積雪ゼロ、気温+1度と去年とは大違いだ。今日はいつもより登山者の数も少なかった。

 10時半から歩き始め、途中の危険箇所も全員無事通過し、午後1時頃に山上に到着した。少し遅めの昼食を済ませ、今年も持参したぜんざいを振舞った。食後、輪法転寺にお参りしてから下山にかかった。登山本道を下ったが、階段状になっている下山道は結構脚を痛める。4時前に登山口の駐車場に到着した。今日のアプローチはマイカーだったので、二台の自動車に分乗して帰路に着いた。

火曜日, 1月 02, 2007

高野山へ墓参


 高野山には、父母の墓があって昨年は墓参などで4回訪れている。正月二日、今回は一人で訪れたが、山内はあいにくの雨だった。朝早く自宅を出て、電車とバスを乗り継いで一の橋の停留所で下車する。ここから奥の院の参道を歩くのだが、雨のためか参詣者は少ない。中の橋を過ぎてゆるい石畳の坂を登ったところに墓所がある。墓参を済ませ、奥の院に向う。

 こちらも観光客は少な目で、いつものような賑わいはない。僕にとってはその方がありがたい。弘法大師の御廟の前で般若心経を唱えることも出来た。今日は昼から孫たちがやってくると言うので、再びバスとケーブルカーと電車を乗り継いで帰路に着いた。

 高野山へはマイカーで行くことが多いが、電車で行くのも楽でいい。先般、南海電鉄のダイヤ改正があって乗換えが多くなったが、片道2時間余りでいけるので交通機関の利用も悪くない。但し、今日は一人だったが、数人で行く時は、交通費のことを考えるとやはり自動車のほうが経済的かなと思う。

 高野山へは今年も幾たびか訪れることになると思うが、町石道をもう一度歩きたいとも考えている。

月曜日, 1月 01, 2007

迎春

 一年の計は元旦にありと言うが、この年齢になると余り欲もなくなった。 数年前なら、「今年の売上げ目標は前年比何%UPにしよう。それにはどうすれば達成できるかだろうか。」等々思い巡らしてメモを取ったりしていたが、結果的にはいつも計画倒れに終わっている。

 「世の中は大きく様変わりした」と昨日書いたが、この大きな流れはどうあがいても止めようがない。流れに逆らえば粉々になって潰されてしまうだろう。かといって、大河に乗り出す勇気も力もない。流れの緩やかなところに小舟を浮かべ、ゆっくり下流に向って進むしかないだろう。

 途中にわんどでもあれば、そこに生息する魚を戴くのもよいだろう。大きく羽ばたくことは出来ないが、何とか生き延びることは出来るであろう。何事もなく健康で過ごすことが出来れば他に望むことはない。

 暦によると、「本年の運気は低下し、前途に対する不安や心配事も出て苦難の多い年になります。万事大きな計画は控えて明るく上手に困難を乗り切る賢さが求められます。」と書かれてある。今年の自分の運勢はあまり良くないらしい。2007年は充電の年にしよう。