かくれ里

金曜日, 2月 29, 2008

うるう年

 4年に一度、「うるう年」と言うものがあるが、今年はその年に当たっている。これは、1年の日数が実際には365.2422なので、そのずれを調整する必要があるからだと聞いている。

 西暦を400で割り切れる年は「うるう年」だが、400で割り切れない場合でも100で割り切れる年は「うるう年」でない。又、100で割り切れない場合でも4で割り切れる年は「うるう年」である。西暦が4で割り切れない年は「うるう年」でない。と、ややこしい。オリンピックが開かれる年が「うるう年」と覚えた方がわかりやすいようだ。

 もっとも、2月29日生まれの人は4年に一度しか誕生日が来ないから、4年で一歳しか歳をとらないわけではないだろう。最近は2月29日に生まれると前後にずらして出生届けをする人もいるらしい。

 今日、何処かの役場のコンピューターシステムが不具合をおこし、一日中混乱したと言うニュースを聞いたが、「うるう年」のプログラムに不備があったようである。

月曜日, 2月 25, 2008

定時総会


 一泊二日で同業組合の定時総会に出席した。毎年この季節に懇親会を兼ねて近郊の温泉地で開催しているが、開催場所の決定や議案書の作成等の準備に時間が掛かるので、執行部としては無事終了してホッとしている。

 昨年は皆生温泉で開催したが、今年は日和山海岸の金波楼での開催だった。上程された全議案とも承認されて、滞りなく終了することが出来た。

 休憩の後、夕刻より懇親会が始まった。
料理は「蟹ずくし」と聞いていたが、期待通り満足のいくものであった。宴会場は広々としていて、接客係の仲居さんたちの態度もよく、出席者一同大層喜んでおられた。

 出発日の24日は小雪混じりの天候で、目的地に近づくにつれてきれいな雪景色が迎えてくれた。翌日は城下町「出石」の散策と名物いずしそばの昼食だった。前日の雪空とは一転して良い天気になって行程もスムーズに進行し、予定より早く帰阪することが出来た。

土曜日, 2月 23, 2008

学習指導要領(案)


 小・中学校の学習指導要領改定案が文部科学省から公表された。改定案の主な内容は① 国語、算数、数学、理科の授業時間を1割以上増加する。② 小学5年から英語活動を必修化にする。③ 総合学習の時間を現行の3時間から2時間にするなど。

 学習指導要領は子どもに教えなければならない教育課程の最低基準を示していて、ほぼ10年ごとに改定されているが、今回は今までの「ゆとり教育」と180度転換する改定のようだ。

 学力の低下批判に対しての対応だと思うが、現場の先生たちは、「今まで一生懸命やってきた事はなんだったのか」と、戸惑いは大きいと思う。小学校の先生は英語を教えた経験がない人が多いと思うので、これからが大変だろう。

 学校教育が今後どのように変わっていくかを見ながら、しつけを含めた家庭教育という観点から、見つめ直すいい機会になればと思う。

水曜日, 2月 20, 2008

危機管理


 海上自衛隊のイージス艦と漁船の衝突事故で、政府には原因究明と危機管理体制の見直しが求められている。

 事故は19日未明に発生したが、防衛大臣に一報が入ったのは1時間半後だった。もしこれが、自爆テロの船だったらとしたら大変なことになったであろう。
 

 最新鋭のイージス艦には、多数のレーダーや監視装置があり、24時間体制での目視による監視もしていると言うのに、何故回避することが出来なかったか疑問が残る。「原因調査を徹底的に行い、二度とこのよう事がないようにして欲しい」と石破防衛相は語っている。

 今回の事故は、大型のダンプカーと自転車が衝突したような物で、必至の捜索をしてはいるが、生存はおそらく望めないだろう。ご家族、関係者のお気持ちはいかばかりかと思う。

月曜日, 2月 18, 2008

都市鉱山


 あまり聞きなれない言葉であるが、先日ラジオ番組で話しているのを聞いた。都会では、各家庭から排出されるゴミは相当な量である。その中にはパルプ、石油、レアメタル等の原料を使ったものが多数含まれている。

 携帯電話・テレビ等の電子機器や自動車など、廃棄された製品に含まれる金属類をリサイクル処理することによって、枯渇しつつある資源を再利用する、循環型経済の構築が不可欠だと言っていた。

 今後、都市鉱山の開発は必要だが、現在のところ、廃棄物、スクラップの効率的な回収方法が確立されていないのと、処理する為の技術開発が十分でない。そして、廃棄物、スクラップが資源であるという考えが浸透していない。

 これらの問題を解決する為には、地球規模で取り組まなければならないが、「自然環境に恵まれたわが国が率先して、循環経済社会の構築に寄与することが必要だ」とも言っていた。

日曜日, 2月 17, 2008

テンバイヤー


 ニンテンドーのDSやWiiなどのゲーム機が、定価より高く売買されていると聞いて不思議に思っていた。人気アーティストの公演のチケットが中々手に入らず、ダフ屋よりプレミヤ付で買っていると聞いたことがあるが、どうやらこれと同じことが行われているようである。

 鳴り物入りで発売された新型ゲーム機などを、発売と同時に色々な手段を使って複数台購入し、これをインターネットオークション等にアップロードしたり、定価を上回る価格で転売して利ざやを稼ぐ者がいるらしい。この者たちのことを「テンバイヤー」と言うそうだ。

 「テンバイヤー」とは、転売とバイヤーを掛け合わせた造語だが、正規に購入しようとする者からすると迷惑この上ない存在である。しかし、地方に在住の者にとっては、交通費など購入のために費やす費用と天秤にかけて、プレミヤつきでも喜こんで買っている者もあるようだ。

 学生や主婦など比較的時間を自由に使える者が、小遣い稼ぎ感覚で転売行為を行ったりしているので、全体として価格の吊り上げ状態になっているようである。

木曜日, 2月 14, 2008

成人年齢

 昨年5月に成立した国民投票法では、選挙権年齢は「18歳以上」となった。これに伴い現在20歳の成年年齢を18歳に引き下げるベキだと言う議論がある。

 欧米諸国やロシア、中国なども成年年齢は18歳以上だ。世界中では18歳以上が大勢を占めている。このことから見ても成年年齢を投票年齢にあわせるのは道理であろう。

 僕が成人式に招かれてから50年近くなる。あの頃の自分と比べると、今の若者ははるかに大人である。成年年齢を18歳に引き下げることに僕は賛成だ。

 しかし、18歳・19歳は社会的に「未熟な世代」だとして、疑問視する見方もあるようだ。だが、他国と比べて日本の若者だけがとりわけ未成熟と言う訳ではない。実際問題として法律の改正やさまざまな問題はクリヤーしなければならないだろうが実現すべきことと思う。

木曜日, 2月 07, 2008

食の安全


 中国製の冷凍餃子に毒物が混入していた件では、連日トップニュースで取り上げられている。今の日本の食卓では輸入食品が多く食べられているので、食の安全は大切である。しかし、今回は一寸騒ぎすぎのような気がしないでもない。今までにもこのような話はあったように思うが、そんなに大げさに取り上げていなかったようだ。

 本当なら、日本国内で自給自足が出来ればいいのだが、コスト高の事などがあって、どうしても輸入食品に頼らざる得ない。スーパーには、肉、野菜、果物、海産物等、輸入食品が氾濫している。そして、国内産に比べると安い。僕は、輸入食品はよく利用する。生鮮食料品は国産品と比べてもそんなに見劣りしない。

 「地産地消」と言う言葉がある。地域で生産された農産物や水産物をその地域で消費することだが、安全と言う点ではこの方法が一番いいように思う。最近は「道の駅」などに、その日収穫した産物を並べて売っている。ドライブで出かけたとき等によく利用する。「地産地消」で、いくらかでも輸入食品に頼らなくてすむのではなかろうか。

日曜日, 2月 03, 2008

自然治癒力

 僕は自然治癒力を信じて毎日暮らしている。自然の摂理に逆らわず体調の優れないときは無理をしないようにしている。病院などで診察を受けたことも殆どないし、薬も飲まない。

 免疫学の権威で、新潟大学大学院の安保先生のことは、以前、このブログに書いたことがあるが、ラジオの早朝番組「健康ライフ」に再び登場された。一昨年の12月に出演されたときに初めて先生のことを知ったが、そのときに非常に感銘を受けて、著書なども買って読んでいる。

 先生の持論は、風邪を引いたら熱が出る。怪我や焼けどをすると熱をもって腫れる。これは自分自身が元の身体に戻そうと戦っているのだ。これを薬で熱を下げたりすると返って病気を長引かすことになる。こんなときは身体を暖めることの方が大事だとおっしゃる。

 安保先生の言葉はいちいち納得が行く。それと、一寸訛りのある話し振りにも好感が持てる。一年あまり、安保先生の言葉どおり実践してきたが、すこぶる快調である。これからも今の生活を続けようと思う。

金曜日, 2月 01, 2008

テレビ本放送開始



 昭和28年2月1日にNHKが、テレビの本放送を開始した。本放送開始当日の受信契約数は866件で、482件はアマチュアによる自作の受像機だったそうだ。

 僕はこの頃中学生だったが、叔父が電気店を営んでいて、自作のテレビ受像機を写しているのを見ていた。この頃のブラウン管は直径10吋ぐらいの円形だった。放送といっても殆どテストパターンが写っていたように思う。

 当時は庶民の高嶺の花だったテレビは、普及のため各ターミナルに街頭テレビが置かれていて黒山の人だかりだった。昭和34年は皇太子ご成婚の年で、白黒テレビが爆発的に売れた。普及台数も200万台を超えた。カラー放送が始まったのはそれから5年後の東京オリンピックの頃である。テレビは必需品となって瞬く間に全家庭にいきわたった。

 放送開始から半世紀が過ぎて、1人1台の時代になった。しかも、薄型大画面が主流になった。50年前に今の状況を予測できた者が果たしていただろうか。恐らく誰も想像できなかったであろう。