ニュータウンの栄枯盛衰
1950年代、大阪市の人口は100万人も増えた。増えた人口を吸収するために、雑木林で覆われた千里丘陵を大規模なニュータウンに改造することが決まった。
千里ニュータウンは1150ヘクタールの敷地に15万人が暮らす町となった。1970年には、千里丘陵は万博の開催場所に決まり、交通機関の整備も整って、地下鉄御堂筋線の延伸もすすめられた。
万博期間中、北大阪急行は4000万人以上の来場客輸送をした。万博終了後は千里中央駅が終着駅となり、駅周辺にはデパートはじめ各種商業施設が出来て、名実ともに千里ニュータウンの中核となっていく。
しかし、住環境の良さは、住民が長く定着する結果となり、新陳代謝が進まなかった。1980年代になって住民の高齢化が浮上し始めた。現在ではオールドタウンと呼ばれるようになった。その後、万博会場の一帯は再開発された。人々の流れがそちらへ流れるのは当然だろう。
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