承久の乱
日本の歴史において平安時代の末期、貴族階級の衰退と武士階級の飛躍的に台頭の後、鎌倉幕府が成立した。
昨日のこのブログで、承久2年(1220)に後鳥羽上皇が熊野詣のおりに、若松神社に行宮を置かれたと書いたが、後鳥羽上皇は、その翌年の承久3年(1221)に、鎌倉幕府と戦って敗退し、北条義時によって隠岐島に配流された。この合戦のことを「承久の乱」という。
承久の乱後、朝廷は鎌倉幕府に完全に従属するようになった。幕府は朝廷を監視し、皇位継承も管理するようになった。
承久の乱は、武士がそれまでの支配階級であった天皇・公家階級を無力化させて、国の実行支配権を奪取する結果をもたらしたことになる。武家社会はその後明治維新まで、600年以上に渡り続いたのだ。
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