かくれ里

土曜日, 8月 19, 2017

摂関政治


50数年前に買った「日本の歴史」全集を再び読んでいる。時代は866年の応天門の変の後、実権を把握した藤原良房の死後、養子の基経が摂政に就任し、884年に光孝天皇が即位した際には、事実上の関白に就任した。
 
摂関政治と言えば藤原道長が良く知られているが、摂関政治を作り上げたのは、道長が政治界に君臨するまでに活躍した多くの藤原家の人々である。
 
道長は、西暦1000年前後の日本の実質的な最高権力者として君臨した。しかし、摂政・関白という地位にはわずか1年ほどしか就いていない。やがて白川法皇が権力を把握し摂関政治は終焉を迎えたが、摂関家という概念が残った。
 
江戸時代には幕府の支援で摂関家の勢力が再興され、摂関家当主による意思決定が義務付けられ、朝廷の最高意思決定機関となった。幕府としては皇室と摂関家を分断することによって朝廷統制に利用してきた。明治になって摂政・関白は廃止され、摂関政治は完全に消滅することになった。