かくれ里

月曜日, 1月 19, 2015

古 墳



40数年前に買った中央公論社の本「日本の歴史」を神話の時代から読み始めている。昔から古墳の発掘などから様々な予測がなされてきたが、天皇陵と言われている所でも不確かな御陵もあるようだ。
 
先日、報道されて脚光を浴びているのが、飛鳥・小田山遺跡だ。桜井市在住のSさんはご自分のブログに現地説明会の模様をアップされていた。この遺跡は学校の改築工事の調査で判明されたもので、34代、舒明天皇の初葬墓の可能性が高いと言う。
 
宮内庁が管理する舒明天皇の墓は、桜井市にあるが、641年に崩御の後、一旦飛鳥に埋葬され2年後に桜井の陵に改葬されている。発掘現場で見つかった土器などから7世紀中ごろの築造とされ、舒明天皇の初葬墓と言われているようだ。
 
  この時代は、曽我氏が勢力を持っていた時代だが、舒明天皇の息子の中大兄皇子(後の天智天皇)等によるクーデターで曽我氏が滅ぼされた。大化の改新と言われているのがこのことだ。その後、飛鳥の豪族を中心にした政治から、天皇中心の政治になったとされる。