かくれ里

火曜日, 1月 05, 2016

宇陀松山城



昨日散策した宇陀路には、織田家ゆかりの寺や神社が存在する。戦国時代この地には山城があった。関ヶ原の戦の後に織田信長の二男の信雄が、家康から5万石を与えられ宇陀松山初代藩主として山麓に陣屋を開いた。
 
以後4代の支配を経て、江戸幕府の天領となり商業地として栄えた。江戸時代から明治にかけての商家などの建造物は、宇陀松山伝統的建造郡保存地区の名称で国から選定されている。
 
織田家菩提寺の徳源寺には初代藩主の信雄はじめ歴代藩主の五輪塔がひっそりと並んでいた。だが殆ど参拝する人がないようで荒れ果てていた。寺は本堂が無く庫裡のみが存在するだけだった。
 
 宇陀松山城は1615年に廃城となった。遺構は、石垣、門、空堀のみとなっている。文化財などの指定もされていないとの事だ。