かくれ里

金曜日, 10月 21, 2016

仁徳天皇


「歴代天皇総覧」に記載されている内容でエピソードが多い第16代仁徳天皇について触れてみよう。応神天皇の第四子で、「古事記」には83歳で崩御したと記されている。天皇の御陵は堺市の百舌鳥にあって、全長486mの我が国最大の前方後円墳である。
 
 天皇は即位し、都を難波高津宮(大阪市中央区)に移した。宮は質素を旨とし、殿舎は何の飾り気もなかった。磐之媛命を皇后として、17代履中天皇、18代反正天皇、19代允恭天皇がもうけられた。
 
仁徳天皇は聖帝としての事績が伝えられている。大阪市歌の歌詞にもある「民のかまど」のことだ。そして天皇は、絶えず河川が氾濫し家屋や田畑を荒らしていることを憂いて、土木事業の推進も行った。
 
 仁徳天皇には聖帝の顔とは別の顔を持っていた。それは皇后が留守の間の女性問題である。嫉妬深い皇后磐之媛命は大和に移り山城に居所を構えた。難波高津宮には一度も帰らず亡くなった。僕は10年ほど前にハイキングで佐保路を歩いた折、磐之媛命の陵のそばを通っている。