
戦後の日本における高度成長期の負の側面でもある「水俣病」は、公害の原点と言われ、犠牲者の多さでも知られている。
69年前の1956年5月1日、熊本県水俣市の医師から患者発生の報告があり、公式の確認がなされた。1958年頃から、「水俣病」の名称が使われ始めた。
水俣病とは、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を魚介類が吸収し、これを食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
水俣病の原因企業のチッソ㈱は、水俣の町を急速に発展させた。こうして、チッソは増産を重ねたが、労働環境や自然環境の配慮は後回しにされていたのだ。
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