征韓論
明治6年、維新後の廃藩置県などの政治変革での、士族たちの不満を国外に向けさせる目的の為に、西郷隆盛たちが征韓論を唱えた。しかし、大久保利通らの反対派に押し切られ、征韓論者たちは政府から去る。
征韓論者の中でも、西郷隆盛は、士族たちの不満は限界に達しているとして、武力を持って朝鮮に国交を求めるべきだとの意見に対し、板垣退助は、民衆の意見を優先するべきだが、士族が望むなら賛成するとの立場だった。
一方、反対派の考えは、今は富国強兵を目指すのが優先事項だ。戦争となれば多額の金が必要だがそんな財源はない。財源を負担するのは民衆だ。士族のみならず民衆が暴動を起こしかねない。
その後、西郷隆盛は鹿児島に戻り、士族たちを救うための活動をしたが、政府の更なる追い打ちに士族たちの不満を抑えきれなくなって、西南戦争が起こった。
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