かくれ里

火曜日, 10月 19, 2021

大化の改新

 

   「大化の改新」は、7世紀の中ごろに行われた政治改革のことだ。645年6月14日に起こった「乙巳(いっし)の変」と言われる、曽我一族が滅亡した後の改革を指す。

    これまで豪族のものだった民衆を国のものにしたり、地方を国と郡に区画したりするなど、これまでの政治を大きく変えようとした。

    一連の改革は、中臣鎌足、中大兄皇子たちが中心となり、中国(唐)の律令制を手本として中央集権的支配体制の形成を目指した。都は、孝徳天皇を立てて「難波長柄豊碕宮(なにわのながらとよさきのみや)に移した。

一般的には「大化の改新」と言われるものは、650年までの5年間をさすが、これらが実現するのには「壬申の乱」(672年)などを経て「大宝律令制定」までの日時を要した。