かくれ里

土曜日, 10月 28, 2006

通天閣と新世界

 昭和31年に、新世界のシンボル通天閣が再建されて今日で50年目を迎えた。この頃、僕は、叔父が経営する電気店の住み込み店員として働いており、仕事で新世界の得意先を訪ねることが多かった。得意先には呉服屋、居酒屋、串かつ屋、旅館、そして浪曲小屋まであった。

 この頃、浪花節が流行っていて、新世界の浪曲小屋「ナニワ倶楽部」(たぶんこんな名前だったと思う)は、いつも大入り満員だった。楽屋に入って仕事をすることもあって、浪曲師の中には何人かのお客さんが居た。お客の中に今でも時々名前を聞く真山一郎がいる。京山幸枝若(先代)にもオープンリールの録音機を納めたことがあった。この小屋のあった場所は、今は芝居小屋に変わっている。

 建設中の通天閣が完成したら上ってみたいなと思っていたが、願いかなわず、その内にそのうちにと考えていた。ところが、地下の会議室には何度か入ったことはあるが、展望台へは上ることなく、現在に至っている。

 ところで、通天閣の広告は最初から日立製作所が独占している。不思議に思っていたが、運営資金調達のため、長期に渡って広告を出してもらえる大手企業を探していた運営会社の通天閣観光と、関西に進出を企てていた日立製作所との思惑が合致した為と聞いた。

2 Comments:

At 10/29/2006 8:46 午前, Anonymous 匿名 said...

「通天閣」、いい名前ですよね。「天守閣に通ずる」それとも「天にも通ずる楼閣」ってとこから名付けられたのかなぁ?
大阪シンボルのひとつですね。昔、一度だけ登ったことがあり、展望鏡で覗いた記憶がありますが、あまり記憶がなくて・・。

 
At 10/30/2006 12:12 午前, Blogger 慶喜 said...

 スターアニスさん、こんばんは。いつもコメントありがとうございます。

 ここ何年もの間、新世界方面に出向く用事が無かったので、最近の町の状況が分かりません。昨日のテレビ放送を見ていたら、通天閣に一度上ってみたくなりました。

 

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