かくれ里

日曜日, 6月 22, 2008

難波大道


 7世紀中期、第36代孝徳天皇の在位中は難波宮に宮廷があった。ここから幅17メートルの道が真南に向けて一直線にのびて、竹内街道を経て飛鳥まで続いていた。難波大道(なにわだいどう)と名づけられたこの道の調査は、昭和54年ごろから始まっている。

 最近の発掘調査は、昨年11月から堺市と松原市にまたがる大和川今池遺跡で行われ、長さ46メートルの遺構と東西両端の側溝跡が見つかった。さらに、側溝から出土した土器片が、7世紀中ごろのものと見られることから建造時期が裏付けられた。

 1300年も昔に、このような大事業が行われていたとは驚く。現在のような重機など何もない時代に、人力だけでこれだけのことが出来たのだからすごいと思う。

 万葉集がらみで日本の歴史を読み始めたが、少しずつではあるが、万葉の時代のことがわかってきた。今まで短絡的だった時代背景がつながってくると、色々興味が広がっていく。現地へも行ってみたくなる。歴史散歩もよかろう。いくらでも時間がほしい思いである。