かくれ里

月曜日, 9月 09, 2013

五・一五事件


少しづつ読書している40年前に買った日本歴史の本は、やっと昭和時代に入った。昭和初期の日本は、世界恐慌に端を発した大不況で企業倒産が相次ぎ、社会不安が増していた。
 
昭和6年に満州事変が勃発し、翌年発足した犬養内閣は満州事変を黙認した。しかし、海軍将校たちは政府に対して不満を持っていた。昭和7年5月15日、武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣 犬養毅 を殺害した。
 
首相官邸以外にも、警視庁、変電所、三菱銀行、内大臣官邸などが襲撃を受けたが被害は軽微であった。反乱は失敗に終わり、反乱者たちは自首したり逮捕された。
 
事件に関与した軍人たちは東京地方裁判所で裁判を受けた。ところが、当時の政党政治の腐敗に対する反感から将校たちに対する助命嘆願運動が起こり、将校たちへの判決は軽いものとなった。このことが、続いて起こった二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押ししたと言われている。