かくれ里

金曜日, 5月 21, 2021

新田開発

 

江戸時代、淀川水系の治水と同時に、大和川付け替えの跡地や大阪湾岸の河口の浅瀬で次々と商人による新田開発が行われた。

 大阪平野の多くの土地は、この時期に水辺から陸地になった場所が多く、こうした新田の名は開発した商人の名前が付けられ、現在でも土地の地名に商人の名に由来するものが多く残っている。

 しかし新田開発は、巨額の利益が期待できる半面、リスクも大きかった。新田に投資した商人には破産した者もあったようだ。

 これら新田には「会所」と呼ばれる管理事務所があり、小作人から年貢米徴収・貯蔵や、新田の堤防・水路などの維持管理業務、役人への対応などを行っていた。現存しているものとして、昨年秋Tさんと行った「加賀屋新田会所跡」がそれだ。