松虫花壇
大正時代から昭和の初めにかけて、大阪阿倍野区に巨大な料亭旅館があった。名前を「松虫花壇」と言って、阪堺電車上町線松虫駅の西、丸山通と松虫通にまたがる広大な敷地を誇っていたそうだ。
現在、この料亭のことを知っている人は少ないと思う。僕も先日「南天苑」の下見に行って初めて知った。戦前は南大阪に「松虫花壇」ありといわれたほど有名だったそうだが、戦時中の贅沢を控える風潮があって廃業したようだ。
夫婦善哉の作者、織田作之助も宿泊したことがあるそうで、大阪基督教短期大学構内に記念碑が建っている。碑には昭和9年11月織田作之助 松虫花壇に宿泊。と刻まれている。この碑は昭和60年8月丸山連合会が建立したとのことだ。
阿倍野区のこの地域には、以前は顧客もあって、仕事で時々は行っているが、松虫花壇のことは誰からも聞いたことがなかった。恐らく庶民にとっては高根の花の場所だったのだろう。
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