内地雑居
余り聞きなれない言葉だが、明治維新の初期、日本が欧米と対等に付き合える国となる過渡期において、外国人の日本国内開放をめぐる問題で、当時は激しい論争があったようだ。
江戸末期、安政の五か国条約では、外国人は外国人居留地での居住と10里四方の外出以外は許可されていなかった。欧米各国は反発したが、攘夷運動が盛んな時でもあって認めざるを得なかった。
この方針は、明治政府にも継承され条約改正を急いだが、国内外で様々な問題が発生してなかなかまとまらなかった。1894年に日英通商条約が締結され、その直後に発生した日清戦争によって、各方面に不満を残しつつも、大きな反対のないままに、外国人居留地の廃止と内地雑居の実施が行われた。
日本はその後富国強兵に邁進していったが、国民運動も活発になって行った。20世紀初めの頃には藩閥政府から政党政府になる。そうして日本の近代化は進んでいった。
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