かくれ里

月曜日, 8月 19, 2019

下剋上


昭和天皇の『拝謁記』の中で、軍が勝手に動いた様を「下剋上」と表現されているが、あの時期、大日本帝国陸軍において、正規の指揮系統が軽んじられ、青年将校や参謀などが越権的なイニシアティブを行使した風潮があった。
 
 元々、日本史において下剋上とは、下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒し、上下関係を侵す行為を指す。戦国大名の多くはこうした風潮から生まれた。
 
 戦国時代の最大の成功例は織田信長によるものだ。だが信長自身も下剋上で明智光秀に打たれた。信長の姿勢は豊臣秀吉に継承された。
 
 この風潮は徳川家康によって終止符が打たれた。家康以降は下剋上の風潮は廃れたが、幕末に至るまでは「主君押し込め」がみられる。明治維新以後、昭和20年までの歴史は日本国民にとっては激動の時代だった。終戦ですべてがリセットされて、現在は下剋上など考えられない平和な世の中である。