かくれ里

火曜日, 6月 11, 2013

新光悦村




芦生からの帰り道に立ち寄った道の駅の名前が「京都新光悦村」と言う。京都縦貫自動車道の入口にあった。この自動車道は今年の4月に名神高速道路と接続していた。我々はカーナビにもない道を通って、名神大山崎ICから名神道を一路大阪へ。想定時間よりも早く帰ることが出来た。
 
新光悦村は京都府南丹市が工業団地を造成して、京都の伝統と文化のものづくり産業の誘致をし、伝統産業と先端産業のコラボレーションを進めている。伝統の技術を教える学校、京都伝統工芸大学校が立地を表明しているようだ。現在は、工房アトリエ向けの小区画の分譲中だ。職人などの個人も立地出来るらしい。 
 
光悦村の地名は、江戸時代の初めに活躍した書家・芸術家の、本阿弥光悦から来ているそうだ。1615年、光悦は徳川家康から京都洛北の鷹ヶ峯に広大な土地を拝領し、一族と共に住み着いて創作活動が始まった。のちにこの地が光悦村と称され、芸術村として広く知られるようになった。
 
京都府は大阪より面積がかなり広い。大阪府でも知らないところが多いのに、京都のことは市内のごく一部しか知らない。ここの道の駅に立ち寄ったお蔭で、又一つ知識が増えた。