かくれ里

金曜日, 4月 29, 2011

昭和の日

 
 今日は国民の祝日「昭和の日」。この日は、昭和天皇の誕生日で祝日になっていたが、1989年の今上天皇の即位により、天皇誕生日は12月23日に改められ、この日は「みどりの日」と改められて祝日が存続された。

 その後、2005年の祝日改正法によって、2007年からは「みどりの日」は5月4日に移動し、4月29日を「昭和の日」と定められた。

 祝日法によると「昭和の日」は、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧みて、国の将来を思いいたす日とされている。

 昭和の時代は、大戦による国土の荒廃や、数限りない天災に襲われたりしたが、その都度危機を乗り越えて新たな発展につなげてきた。それだけに今回の大震災も、国民が一致団結して困難に立ち向かうことが出来るであろう。

木曜日, 4月 28, 2011

津波実況

  海上保安庁が、仙台空港を襲った津波の様子を記録した映像を公開。

水曜日, 4月 27, 2011

被災地訪問



 27日、天皇皇后両陛下が震災後初めて東北の被災地を訪問された。早期の訪問を希望されていたようだが、現地の復興作業などの負担にならないよう気遣って、東京や千葉などの4ヵ所の訪問を続けておられた。 

 両陛下の被災地への訪問は20年前から行われている。大きな災害が起こるたびに現地に足を運び被災者を見舞ってこられた。

 被災地をお見舞いされる際は、必ず日帰りのスケジュールを組まれている。そしてなるべくヘリポートから近い場所の避難所を最小限の車の移動で訪れている。被災地に負担を掛けないような配慮をしているのだ。
 
 両陛下からねぎらいの言葉を掛けられた被災者たちはどんなに元気づけられたことだろうか。日本国は、古くから天皇陛下を頂点とする伝統文化に培われた国です。この度の様な大震災にあっても、平静を保っておられるのはこうした古い歴史があるからであろう。

日曜日, 4月 24, 2011

デジタルネイティブ


 生まれながらにインターネットやパソコンのある生活環境の中で育ってきた世代の人たちのことを「デシタルネイティブ」と呼ぶらしい。20歳前後までの世代で、次世代を担う人たちとみられている。

 それ以前の世代では、アナログをデジタルに置き換えて理解するが、最初からデジタル環境の中で育った世代は、過去のアナログ環境の感性や習慣などの影響を受けないと言われている。

 デジタルネイティブの特徴は、インターネットサービスへの抵抗がなく、積極的に利用する傾向がある。ネットオークションなどでも簡単に売買して、バランス良く使いこなしている。

 今後、10年ぐらいすると消費者としてではなく、社会に進出して企業内の中枢に入り、新しいシステムを構築していくことになるのではなかろうか。

金曜日, 4月 22, 2011

Fukushima 50


 福島原発事故に対しては、東京電力の責任を追及する意見が多く聞かれるが、現場では同社の社員や関連会社の社員たちが、放射能の危険と戦いながら命がけで奮戦している。

 ウィキペディアの記述によると、3月11日発生の地震と津波によって原子炉の冷却機能が停止し、水素爆発などが発生して放射能が飛散した可能性がある為に、大部分の社員は避難したが、約50人は現地にとどまって被害の食い止めに尽力した。

 このことを外国メディアが、彼らを、地名と人数を合わせた「Fukushima50」という呼称で呼び始め、大々的に報道されている。その後人数は増えていったものの「Fukushima50」という名前はそのまま使われているそうだ。

 しかし、国内のメディアはこのことに関してはあまり報道していない。実際のところ、現場では想像を絶する作業の連続だろう。ともかく一日も早く終息に向かって欲しいものである。

水曜日, 4月 20, 2011

あと3ヶ月


 テレビ放送のアナログ停波まで100日を切った。デジタル化はすんなりいくのだろうか。震災の影響かどうかわからないが、ここにきてテレビの販売が低迷している。もっとも当店は積極的な販促活動を殆どやってないので当然かもしれないが。

 受信状況も共同受信の家庭がまだかなりあって、アナログ停波後に共聴設備が撤去されるとデジタル放送が受信できなくなるので、CATVに加入するか地デジアンテナの設置工事をしなければならない。

 おそらく7月前後は大混乱するような気がするのだが、実際にはその時にならねば分からない。本来ならこの時期は積極的に打って出るのが常道と思うのだが、僕にはもうその元気はない。

 消極的ではあるが、自店の顧客だけには迷惑がかからないようにしようと思っている。そのための準備だけはしておく積りである。

土曜日, 4月 16, 2011

復興構想会議

 
 僕はこのブログで、大地震発生から数日過ぎた頃に 復興計画 について書いた。しかし、実際の被害はそのとき考えていたよりはるかに大きい事がわかった。これからの先、復興には数ヵ年の期間と莫大な費用が必要であろう。

 政府が設置した「復興構想会議」の初会合が14日に開かれた。会議のメンバーは、議長の五百旗頭(いおきべ)防衛大学校長の他、政治学や防災・都市計画などの学識経験者と、被災地の岩手、宮城、福島3県の知事など15名。

 会議では財源確保のために復興税の創設を検討されているようだが、今は増税する時期ではないと思う。復興財源は臨時の復興国債を発行する方がいいのでなかろうか。

 この会議において菅首相は、被災住民らを高台に移住させ、風力や太陽光などの自然エネルギーを活用した「エコタウン構想」を提唱しているそうだが、被災者たちは困惑するだけだろう。

木曜日, 4月 14, 2011

もしドラ


 以前このブログで、経営学の大御所 ドラッカー のことを書いたことがある。そのときに岩崎夏海著の「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」という本を買ったと書いた。ところが、この本の売り上げが200万部を突破する大ベストセラーになっているそうだ。

 アニメにもなってテレビ放映される予定だったが、大震災の影響でオンエアが延期されていたのが、今月25日にスタートするようだ。さらに、AKB48前田敦子さん主演で映画化もされるそうである。

 この本はAKB48のキャラクターを利用したことなどから、一時的なブームで終わるかと思っていたが、200万部以上売れているという現象は、ドラッカー氏の考え方が多くの人々の共感を呼んだからだろうか。僕にはそうは思えないのだが。

 ドラッカーのことが少しは理解できるかと思って買った本だが、正直言って僕にはあまり参考にならなかった。この本がなぜそんなに人気があるのか不思議だ。

日曜日, 4月 10, 2011

水琴窟


 久しぶりのハイキングで二上山に登った。お目当てのヤマザクラはちらほら咲きだったが他の桜たちはほぼ満開で迎えてくれた。快晴の一日、登山道をのんびりと歩き、山上ではいつもより長めのランチタイムを楽しんだ。

 午後3時ごろには当麻寺に到着。当麻寺は何度も訪れているが、関西花の寺第21番霊場の西南院は今回初めて拝観した。ぼたんの頃なら大勢の人で賑わうことだろうが、今日は我々だけだった。

 よく手入れのされた庭園には、ぼたん以外にも様々な花々が植えられてある。見晴らし台からの眺めも見事だった。見晴らし台の傍に水琴窟があった。

 水琴窟は、土の中に隠された素焼きのかめ(壺)の中の水面に落ちる水の音が反響して、琴に似た音色を出す。妙なる音色に時間を忘れて無我の境地へと迎えてくれるようだ。今日は楽しい一日を過ごすことが出来ました。

木曜日, 4月 07, 2011

風評


 東北地方太平洋沖地震の発生から一ヵ月近くなる。今までの震災とくらべても今回は規模が違う。加えて今現在も壊れた原子炉が放射性物質を垂れ流し続けていて、終息のめどが立っていない。

 原発関係のニュースでは、耳慣れない言葉が登場する。数値はエスカレートして百万倍になったりする。素人にはさっぱりわからない。市場では放射能汚染が確認されていない千葉県産の魚にまで値がつかない事態まで起こっている。

 これは「風評」と呼ぶしかない。鮮魚の値崩れは「風評」に踊らされて購入を避けている消費者の愚かさなのか。「風評」を恐れて仕入れをためらう仲買業者が悪いのか。いずれにしても漁業関係者にとっては迷惑なことだ。

 原子力の様な分野は素人の目から見て何が正しいか把握しようがないから、一応疑ってみるのが当然だろう。「風評」が科学的でないと叫んでも、放射線に汚染された以上この影響をくつがえすことは容易ではないだろう。

火曜日, 4月 05, 2011

友達作戦

 
 今度の大震災に動員された自衛隊員は、10万人を超えているそうだ。自衛隊員の活躍ぶりは一部しか報道されていないが大変な作業をしているようである

 米軍も震災直後より原子力空母「ロナルド・レーガン」他の艦隊と、国内外の基地から1万人規模の隊員を派遣し、「Operation Tomodachi (友達作戦)」と称して、復旧支援活動や様々な被災者救援活動をやってくれている。

  テレビなどの報道だけではどんな活動を行っているのかよくわからないが、、自衛隊のヘリへの給油活動や救援物資の運搬。瓦礫の処理や行方不明者の捜索など自衛隊と協力しながら活動している。

  友達作戦と名付けられたのは、日本のことを真剣に考えてくれているからだろう。アメリカの思いが伝わってくる。地元の人たちとも協力しあい、言葉は通じなくても、本当の友達の様に一生懸命活動してくれているそうだ。
 

土曜日, 4月 02, 2011

二上山


 二上山は古来から神聖な山として人々に崇められている山だ。この山へは、毎年桜の頃に登っているが、タイミング良く満開の山桜に出会うことは少ない。次の日曜日に登ろうと思っているが、今年はどうだろうか。

 登山コースは様々あるが、近鉄電車を利用するので当麻寺経由で登ることが多い。今年は二上神社口から登って当麻寺方面に下ろうと考えている。

 雄岳頂上には大津皇子の墓がある。天武天皇の第三皇子だった大津皇子は、謀反の疑いを掛けられ24歳で自害した悲劇の皇子である。万葉集には大津皇子に関する歌が多く残っている。

 歴史書を読むと、長い歴史の間には色々あったようだが、日本は神武以来、天皇を中心とした国家が形成されて現在に至っている。話が飛躍するようだが、今回の大震災の被害に対しても、秩序のある行動がとれているのも、日本人の心の中には、天皇を中心とした文化が根付いていたからではないかと感じる。