高度経済成長
昭和35年7月に成立した池田勇人内閣は「国民所得倍増計画」を策定し、実質国民総生産を10年間で2倍の目標を打ち出した。企業は、増大する需要をまかなうため設備投資を行い、これに伴い原材料の供給が拡大したことで鉄鋼業や石油化学工業が発展していった。
日本経済は、昭和40年代初めまでに年平均約8%の実質成長を達成した。昭和39年10月には新幹線の東京⇔大阪間が開通した。又、名神高速道路(昭和38年)、首都高速道路(昭和39年)も開通した。
そして、昭和39年には東京オリンピックを、昭和45年には日本万国博覧会を開催し、日本の経済国家としての地位を国際社会に宣言した。
しかし、先進国の例を見ないスピードでの経済成長は、自然環境の破壊を招き、水俣病等の公害の拡大が大きな問題となった。公害問題は現在も続いているようだ。